石じじいの話です。
中国地方を石探しに歩いた時、ある老人に会ったそうです。
その人の家に招かれたのですが、その家屋は、当時としては珍しいコンクリート建築でした。
その人が言うには、土台から自分一人で建てたのだ、と。
外装は荒削りで綺麗ではなかったのですが、内部は非常に立派で清潔でした。
家の一部には、「実験室」があったそうです。
その実験室には、たくさんの実験器具や文献、おおきな金属容器(風呂桶のようなもの)が揃っていました。
また、金属の扉で次の部屋や納戸がさかいされていたと。
実験室には、ほんのわずかながら、なにか肉の匂いが漂っていました。
さらに、発電機も備わっていたそうです。
その男性は熱く語り始めました。
わたしは、「人工食料」を研究しているのだ。
これが完成すると、食糧難が解決されるのだ。
飢饉が来ても大丈夫なのだ。
あの、10年前の戦後の食料難での、多くの子供たちの餓死も起こりはしないのだ。
その研究は完成したのか?とじじいが尋ねると、その男性は、もう一息だ、と。
しかし、彼は、その人口食料をじじいに見せることはありませんでした。
原料は何か?と尋ねたところ、その人は、ある種のタンパク質だ、ということでした。
じじいは、原料がタンパク質で、それが人工食料になる、というのも無駄な話だと思いましたが、まあ、醤油のようなもんかいな?と思ったそうです。
話がはすんで遅くなったので、じじいはその家に一泊させてもらうことになりました。
夕食は、男性の奥さんのとても美味しい料理をいただいたそうです。
けんちん汁、フライ、当時としてはめずらしいハンバーグ。
翌日、礼を述べてじじいは石探しの旅を続けました。
出発して、すぐに、じじいは腹をくだしてしまい、その後の旅で往生したそうです。