知り合いの話。
秋山で、一人露営していた時のこと。
そろそろ寝ようかという頃合に、微かな音が聞こえた。
音のする方を見やると、営地の外れで黒い影が踊っていた。
黒く濡れたような細長いリボンが、回るように歌うように踊っている跳ねている。
鼬(イタチ)だった。
白く大きな満月の下、一匹の鼬(イタチ)がクルクルと舞っていた。
まるで水墨画がそのまま動き出したような、幻想的で幽玄な雰囲気に飲み込まれ、そのまま魅入ってしまったそうだ。
どのくらい経ったのか?
我に帰ると月は既に傾き、鼬(イタチ)も消えていた。
頭を一つ振ると、左の手首に鋭い痛み。
ぱっくりと傷が開いており、血が出ていた。
幸い傷は小さく血も止まりかけていたので、応急処置をして寝たという。
山を降りてから、知り合いの炭焼きにこの話をしてみた。
「そりゃ化かされたな。あいつ等の中には血吸いもいるからなぁ」
炭焼きが言うには、年経た鼬(イタチ)は人を化かすようになるのだという。
そのような鼬(イタチ)は、人間を幻惑して夢現の状態にできるそうだ。
術にかかった人間が桃源郷に遊ぶ間に、ゆっくりと血を吸うのだと。
「大して出血する訳でないし、怪我も小さいけど、一応注意しとけ」
そう言いながら、炭焼きは竹で焼いたという塩を振りかけてくれた。
彼はそれを聞いても、なぜか怖いとか嫌だとかは思わなかった。
以来、苛々したりすると、あの白と黒の情景を思い浮かべるようになったという。
そうすると不思議に心が静まるのだと。
「俺は未だに化かされているのかもしれないな」
そう言う彼の顔はどこか穏やかに見えると、私は最近思うようになっている。