18世紀のフランスの外交史上に不思議な人物がいる。
その名をシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモンという。
この人は、生涯の前半は男性として、後半を女性として生きたという。
女装させて8歳まで女の子として育て、その後も女装を好み、世間から少女として扱われることに喜びを感じるようになったデオンは、その美貌からルイ15世が、ぞっこん惚れ込んだという。
この国王はデオンのその女装と美貌を外交に利用しようとしたのだ。
27歳のデオンは完璧な女装をしてリア・ド・ボーモンという女性の偽名でロシアに渡った。
そしてロシアのエリザベータ女帝に近づき、密かに情報をルイ15世に送っていた。
当時、デオンの存在は一部のモノをのぞいてはフランス政府ですらその存在が隠されていたという。
そして二度目にデオンがロシアに渡った際は、女装せずに普通に男性としていた。
今度はデオンは、ボーモンの兄であるという触れ込みで、周囲の人々をごまかしたという。
その後フランスに帰国したデオンは、男性として軍隊生活を送る。
デオンの武勇は多く、フェンシングの達人でもあったという。
また一方で、デオンの外交手腕は確かなものであったらしく、全権公使を任ぜられ英国に渡った。
英国の社交界にも顔を出し、しばしば女装で現れて英国社交界を混乱させたという。
英国社交界に入り浸るようになったデオンは、英国王のジョージ三世の妃と懇意になる。
ある日、一夜を共にしたことが一部の人間に知れてしまったというのだ。
すぐさま帰国しなければ命が危ない。
だがフランス政府はこのときとばかり、帰国の引き換えとしてデオンがスパイ生活で得た数々の機密文章の提出と、死ぬまで女性の姿でいることを条件として出した。
なるほどデオンが女性を押し通せば、妃との男女の関係が無かったことになる。
しぶしぶデオンはこのことに従う。
帰国したあとのデオンは、デオンの性別に興味を持つ多くの大衆に絶大な人気があったという。
またデオンは時としてフェンシングの剣を握り、スカートをまくしあげて決闘をおこなったと伝えられている。
デオンが死亡した時には、医者がその死体を見分し、男性らしからぬ胸のふくらみと、小さな男性器をみつけたと伝えられている。