もうずいぶん昔の話。
消防学校に入学して、半年って頃。
うちの県の小学校は川辺にあって、台風のときはよく溢れたりした。
今でこそ、水門も完成して人通りの多い道に面してるけど、その頃は空いた土地をたまたま使った、みたいな凄い辺鄙な場所で、夜には街頭なんかほとんどない場所だった。
水難事故もかなり多かったらしくて「ここはあぶない!」みたいな絵の看板が何十と立ってる不気味なところだった。
消防学校って完全寄宿舎制で、基本的には寮生活なんだけど夏休みはみんな大体帰省する。
でも幾人かは「訓練したい」とか「面倒だ」って理由で寮に残ってて、自分もその一人だった。
8月も半ばの暑い夜に、寮にはクーラーなんかないから、外で涼むんだけど、訓練棟やら車庫やらに川の音が響いて不気味だった。
で、残った寮生同士で「懸垂勝負だロープ登り勝負だ!」って馬鹿なことを夜中の2時3時の涼しくなる時分までやってたら、学校の門の前を明かりが通っていく。
最初はちらほらだったんだけど、気にしてから眺めてると10か20は通ってた。
この辺には川しかないけれど、夏休みだし高校生が自転車でうろついてるんだろう・・・くらいに思ってた。
でも、ちょうどその日は台風が通過したあとで、川が荒れてたから「なぁ、水防団の集まりでもあるんじゃねぇか?」って話になって、当時は自分も無駄に熱血な消防士の卵だったから「なんか手伝いでもいこうぜ」ってことになった。
門を出ると、学校の塀がずっと続いてて、塀が途切れたところが川辺へ降りる道、って感じだった。
明かりの行った先は川に降りる道しかないから、と訓練服(ジャージみたいの)に着替えて走っていったんだけど、明かりは見えてこない。
「川辺まで降りてみるか」と伸びた草かき分けて降りていったら、20か30人の子供が、対岸の川辺でぼーっと立ってるの。
みんな白いシャツに短パン、坊主みたいな格好で中には手に網もってたり。
で、4人か5人の俺たちを気にすることもなく、ぼーっと立ってる。
時間は3時とっくに回ってて、子供がいるわけないし、どう見ても「普通」の子供じゃなかった。
「お前ら、遅いから帰れ!」って一人が叫んでみたんだけど、誰もこっち見ない。
「これはおかしい」ってことで、すぐに向こう側に渡ろうとするんだけど橋が無い。
「こっから4,500m先に橋あったよな?」っていって、急いで対岸にいったときには、もう誰もいなくて、さざざざ、って川の音が反響してるだけだった。
流石に怖くなって、帰り道は誰も何も言わなかったんだけど、消防学校の門の明かりが見えたときに、ひとりがぼそ、って。
「なぁ、今日って8月の何日だ?」
「12日だろう。あ、日付変わったから13日だ」
「じゃ、旧盆じゃないか」
そのあとは恐ろしくて、食堂で男5人、念仏のようなものを唱えて朝まで過ごしていました。
8月13日、月遅れの盆入り。
ちょうどそんな日に、川辺に立っていたたくさんの子供たち。
今でも、あの生気のない顔は頭から離れません。
朝になってやってきた教官にそのことを話したところ、「あぁ、お前らも見たのか」と笑ってからこう付け加えました。
「あの子供の数増やしたくなきゃ、水難救助(訓練)、ちゃんとやっておけよ」と。
今やコンクリートで護岸された川岸で、明るいあの場所に今も彼らが立っているかはわかりません。
ですが、時々、消防学校に教えに行くときはこの話をして見せます。
今思えば、消防学校の学生だからこそ、彼らが見えたのかもしれません。