これは、俺の友人が小三の頃に経験した話だ。
俺がそいつと知り合ったのは高校でだから、あいつとは別の小学校に通っていた。
どこにでもあるような、ごく普通の公立の小学校だったらしい。
あいつ(仮にAとする)は、今住んでるところに、小学二年の終わりごろに引っ越してきた。
中途半端な時期に越してきたから、すぐには友達ができず、大人しくて、ちょっととろい性格でもあったから、なおさらだった。
近所に、Bというやつが住んでいた。
たまたま、引っ越しのあいさつの時、母親同士、お互いの子供が同い年だと知ると、近くなんだから、お友達になりましょうねなんて話になった。
しかし、Bは、乱暴なところがあるやつで、子どもだけの時には、気に入らないことがあると、ぶっとばすぞというのが口癖だった。
今思い返せば、親からそう言われて育ってたのかもと少し気の毒に思うらしいが、当時はそんなことなんか考えられるはずもなく、ただ、Bのことを怖いな、でも母親からは「お友達と仲良くしなさい」と言われるし、どうしたものかと思いながら、幼いせいもあり、Bの言いなりになっていたそうだ。
時々、Bも優しく、お菓子やアイスをくれた。(あとで、万引きしたものだと知ったらしい)
Bとはクラスが別々だったから、放課後以外は、Aは学校で一人で過ごすこともあったそうだ。
休み時間に図書館で本を読んだりしていたらしい。
そんなある時、児童の間で学校に幽霊が出ると噂になった。
Aは怖い話が好きで、よく本で読んでいたから、詳しいんじゃないかとBから色々と聞かれた。
そうこうしているうち、肝試しをしようという話になった。
夜中に学校に忍び込んで、その霊を見ようと。
もうすぐ夏休みの時期だったから、Bの家でお泊り会ということにして、家族が寝静まってから、家を抜け出そう。
Bの家となったのは、Bの父親は朝早くに出かける仕事だったため、家族が早寝をする習慣があったからだ。
それから一週間後、早速、二人は実行に移すことにした。
Bの家族が眠ったのを確認すると、二人はBの家を密かに出た。
「すっげー、ドキドキする」
Bははしゃいでいた。
Aも、こんな夜中に親に内緒で出かけるなんて、初めてだからドキドキしていた。
人気のない学校は、暗くしんと静まり返っていた。
昼間の明るく騒々しい雰囲気とは一変し、生の温もりが感じられない、冷え切った場所に感じられたそうだ。
Aの印象では、夜の闇を背にした校舎の白い壁は、闇の色が溶け込んだように、夜との境目が分からなかったとか。
一階の窓の一つを石で壊し、そこから中に入りこんだ。
街灯の明かりが、ぼんやりとさしこむ程度だった。
外よりも、ますます暗く思えた。
しかも、夏だというのに、床から上る空気はやたらとひんやりしていた。
「うわあっ、なんか変な感じだなあ」
Bの驚く声に、Aもうなずいた。
二人はまずトイレ、それから体育館、理科室、音楽室、教室などを見て回ったが怪しげなものは特に見当たらなかった。
「おまえ、お化けが出るってウソじゃねえの!?」
Aの右足をBがけった。
「痛いっ!」
Bは謝らなかった。
二人は最後に職員室へ行ってみることにした。
最後に残していたのはなぜかというと、もしかしたら、まだ仕事をしている先生がいるんじゃないかと心配だったからだ。
一階の廊下を歩いていく。
二人の足音がひたひたと廊下に響いていた。
それ以外に音はしない。
忍びこんですぐは自分たちの足音にも怯えていたが、すでにすっかり慣れ始めていた。
AはBにけられた足が痛み、少しひきずるように歩いていた。
あまりの静かさに、Aは、このまま何事もなく帰ることになるんじゃないかと思っていた。
職員室まであと少しという時、廊下の窓際に何か白っぽいものが落ちているのを見つけた。
普通なら、落し物があったら、先生か児童が見つけて拾い上げ、「忘れ物入れ」と書かれた、職員室前のボックスの中にしまっているはずだ。
おかしいなと思いながら、近づいていく。
近くに来て、ようやく、それが何なのか分かった。
男物の白いブリーフだった。
サイズからして子どものものではなく、大人のもの。
しかも、ところどころ茶や黄色に汚れている。
「うわっ、何だよ、気持ち悪い」
「サイアクじゃん」
「先生の忘れ物かなあ」
「けど、こんなもん忘れるかよ。どの先生だろう。Cかな」
C先生はよく怒鳴る、怖いことで知られている先生だった。
そんな事を話していると、「ほ・・・れ・・・、わたひの・・・です。ふみません・・・が、とっ・・・てもらへま・・・せんか」というかぼそい声がした。
声がした方は、汚れた下着が落ちている窓際とは反対側の、二階へと上がる階段からだった。
「うわっ!」
振り返ると、そこに男がいた。
階段の手すりに寄りかかり、足を投げ出して廊下に座りこんでいる。
頭は薄くなりかけ、眼鏡は脂で汚れている。
その奥に見える目は虚ろで、どこを見ているのか分からなかった。
身に着けているものは、首から下げたネクタイと白いランニングシャツ一枚、そして黒い靴下。
他は何も着ていない。
二人は思わず息をのんだ。
男はもう一度言った。
口の中に靴下でも詰めこまれているような、聞き取りにくい、たどたどしい声。
「ほ・・・れ・・・、わたひの・・・なんです。汚・・・ひてしまっ・・・て、洗って・・・そこに・・・干ひて・・・いたんです。そろそろ・・・乾い・・・たと・・・思ふ・・・ので、とっ・・・てもらって・・・いい・・・でふか。私、お・・・腹を壊し・・・ているみた・・・いで、動・・・けない・・・んです」
よく見ると、廊下に落ちた下着は濡れていた。
おじさんの言葉とは違い、まだぐっしょりとしていた。
水がしたたり落ちそうなぐらいに。
「こいつ、やばいよ」
Bがささやいた。
「とって・・・くだはいよー」
Bが肘でAの脇腹をつついた。
「おまえ、やれよ。やれば黙るんじゃねえか」
Bが嫌なように、もちろんAも触りたくなかった。
他人の下着、しかも汚れたものなんて。
「とってくだはいよー。お願いしますから」
おじさんは執拗だった。
相変わらず、目の焦点が合っていない。
「やらないと、ぶっ飛ばすからな」
すっかり痛みを忘れていたのに、さっきけられた足が再びしくしくし始めた。
Aはどうしようと悩んだ。
正直、手では触りたくない。
誰だってそうだろう。
だとしたら、足でけって渡したらどうか。
渡せばいいことなんだから。
方法なんて構うものか。
左足で支え、痛む右足でけろうと、足を上げた。
「うわっ、助けてくれ」
Bの叫び声がした。
なぜか、すぐ後ろにいたはずのBがいない。
どこへ行ったのか。
階段の近くで、Bは男にしがみつかれていた。
手足をじたばたさせ、Bはおじさんから必死に逃れようとしている。
慌てふためく姿は、今までに見たことがないものだった。
その時、Aは、おじさんの後ろに誰かがいるのに気が付いた。
女の人だ。
年はそれほど若くない。
顔は青白く、首のあたりが真っ赤だった。
一目で、生きている人間ではないと分かった。
怖くなったAは、一人、がむしゃらに廊下を走った。
どこをどう走ったのか、気が付くと自分の家の前にいた。
起きてきた家族の心配そうな顔を見て、ホッとしたAは思わず泣いてしまった。
翌日、Bは学校近くでうろついているところを発見された。
目は虚ろで、錯乱したのか、訳のわからないことを話していたらしい。
すぐに病院に連れていかれた。
そして、それきりBの姿を見ることはなくなった。
Bを苦手としていたのは、Aだけではなかったから、ホッとした子もいたようだ。
そのうち、皆、Bがいたことなんて忘れてしまった。
Aもたくさん友達ができた。
昔、AとBとが通っていた小学校で、ひどいいじめがあった。
いじめられていた子は自殺した。
学校側の対応も悪く、当初はいじめはなかったと主張した。
マスコミによって大々的に報道され、当時の校長の名前もさらされ、日本中から強い非難を浴びた。
家にいたずら電話があったり、中傷されたり、脅迫されたり。
精神的に追い詰められた校長は、妻を殺した後、自ら命を絶った。
首を吊ったらしい。
夫婦の死は、新聞にも載った。
人は首を吊った時、体中の穴から、体内のものが外に流れ出るという。
校長が亡くなった時も、そういう状況だったんだろうな。
さすがにそれは、個人の名誉を守るため、報道はされなかったらしい。
それはそうと、なぜ俺がここにこんな話を書いたかというと、実は、Aからその学校に行かないかと誘われているからだ。
中学の時にも同じようなことがあったが、よく覚えていないらしい。
もう一度、本当にあったことか確かめたいのだと。
夏休みに入る来週にどうかと誘われているんだが、俺は行くべきなのか、行かざるべきなのか、どっちだろう。
Aなんかにチキンだとバカにされるのも癪に障るし、かと言って、こんな話を聞いているのに行けないなとも思う。