小さい頃の鮮明な記憶の真実

カテゴリー「不思議体験」

私の地元では市町村合併の関係で隣の自治体に吸収されてしまったけど、昔は村単位で活動する事が結構ある。
特に町内行事や神社関係の祭祀はかつての村単位で行ってる。

江戸時代頃に開拓され、最近まで開拓が続いた村。
氏神様っていっても開拓した地主の家の氏神様がこの土地の産土神社となっていて、それぞれの神社で祀ってる神様はその町内会ごとに、全部違う。
オカ的にはどうなのよと思うけど、村の慣例では神社の御遷座(ごせんざ)があると、そこの神様には近所の神社に暫くお引越ししてもらうことになってる。
※御遷座(ごせんざ)とは、神仏または天皇の座を他の場所に移すこと。

さて本題に入るけど、私の古い記憶に神様の御遷座に関する記憶がある。
私の家の近所の神社は水害とか台風で壊れてしまって、それまで仮社殿で祀ってたが、氏子一同や近隣の町内会の協力もあって立派な社殿が完成したので、新調した山車で隣の神社まで神様をお迎えにあがるという記憶だ。

村の昔からの慣例どおり、村中の町内会が神社から山車を出して神様が新社殿に御鎮座されるのを村中の神様が見届けに来るのである。
それに私は参加してた。
近所の神社の総本社から神主さんを呼んで、隣の神社まで私の町内の山車で氏子一同が神様をお迎えにあがった。
他の町内も同じような状態なので、盛大なものだった。

3歳そこらの私は冬の寒い日なのに大はしゃぎで両親と祖母にくっついて行った。
祖父は氏子総代だったが既に80歳を超えていたので、父が祖父の代理として参列してた。

村中練り歩いてから、神社にお帰りになるので途中で休憩所が設けてあってそこで休憩したり、昼食を摂ったりしていた。
私は「お稲荷さんをもっと食べたい」だのと言って、完全にピクニック気分だった。

長時間歩いた後、神社に神様が御鎮座されると神主が祝詞を奏上した。

父が氏子総代の代役をしていたとはいえ、村の古老に囲まれて最前列に並んでいたのは正直ちょっと異様に感じた。
その後、新築の社務所で宴会の用意があるとかで神社では祝賀行事が続いていたのだが、父はお構いなしに帰りだした。
母も祖母も同様である。
私は神社に残りたかったのが心残りだった。

帰宅すると家の2階で祖父は饅頭とチーズを肴に酒を誰かと呑んでいたらしい。
おじいちゃん子だった私は祖父の元へ走っていったのだが、散らかった部屋では祖父はひとりだった。

一方祖父は私が来るのを待っていたらしく、待ちわびたように上機嫌で饅頭とチーズをくれた。
それで饅頭をさらに一個祖父にねだると突然に祖父は「お父さんとお母さんが心配するから早く行きなさい。」と大激怒しだした。
でも両親は私を心配してる様子は無かったので祖父の前に居たら、祖父は機嫌は悪くなるばかり。

仕方なしに父の元にいっても祝賀行事の様子を見てるだけで私のことなど無視している。
母も同じだった。
ここで鮮明に覚えてた記憶は途切れてる。
この記憶を9歳のときにアルバムを見ながら母に話したら母は不機嫌になり「誰に吹き込まれたのか知らないけど、あんた私のお腹の中にもいなかったよ」と冷たく突き放された。

そう、神社の御遷座は調べたら私が生まれる2~3年前だった・・・。

それなのに休憩所の間取り、その日の昼食、練り歩いた道順は完璧に覚えていたし、調べた結果も記憶どおりだった。

以来私はこの事を誰にも話していない。
両親は当時不妊で悩んでおり当時の事は思い出したくも無いらしい。

祖父には当時既に8人の孫がいたが、子供と険悪で孫全員と疎遠だったので、どうしても手元に孫が欲しかったらしく、あちこちで孫が授かりますようにと祈祷していたらしい。

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