これは五年程前からの話です。
当時、私は浮浪者でした。
東京の中央公園で縄張り争いに敗れて危うく殺されかけ、追放されたあと、各地を転々とし、最後に近畿地方のとある山中の神社の廃墟に住まうようになりました。
ふもとに下りては何でも屋と称して里の人の手伝いをし手間賃をいただいて食いつなぐ身の上でした。
その生活の中で一番恐ろしかったのは、人間です。
「何でも屋です。何が御用はございませんか」といっただけでいきなり猟銃を向けられた事も御座います。
「一度弾を込めたまま人間に向けてみたかったんだ。ほらよ」と口止め料まがいの大金(恐怖に慄いた代金は一万円でした)を渡されましたね。
付近を走る暴走族に「お前に人権はねえ」と追い回され棒切れで叩かれた挙句、足が折れたこともございます。
その時はよく手伝いにいくかわりに野菜を分けていただいてた農家の方が様子を見に来てくださり、あやうく歩けずに餓死するところを救われ、病院にかかる代金までもっていただきました。
その農家の方からはさまざまな恩を受けました。
「手に職はあったほうがいい。うちじゃ雇ってやれないからせめて作物を育ててみて」そのように仰り、色々な苗や種を分けていただきました。
荒れた境内の砂利を少しよけて硬い土を耕し、近くの川からへたくそな水路をひいて引き入れ、ちょっとした農園をつくるに至りました。
ある時何度かに分けて訪れた茶髪の廃墟探検の人たちに、この農園は大量の除草剤を撒かれて全滅させられました。
私はこういう団体が来る度、暴走族の一件を思い出して隠れるようにしていたのですが、このときほど角材でも持って殺してやりたいと思った事は御座いません。
そこでの生活は、どなたかから恩を受け、それをどなたかに奪われることの繰り返しでした。
こうした生活をしていると、不思議と心が澄んできます。
所詮人間は悪徳の持ち主ばかりだと悟るのです。
そして徳の高く優しい人たちにあこがれるようになります。
そういう風になってくると別に幽霊を見ても必要以上に恐くなくなります。
実はこの神社、社務所にほんとに幽霊が出たんです。
髪がぼさぼさで、白着物に朱袴の女性でした。
生活し始めの頃に気づき、以来おびえて社務所には近づかず、物置小屋で暮らしておりました。
しかし悟ってしまった頃から頻繁に社務所に出入りするようになりました。
大工の親方とも知り合い、古くなった工具を分けてもらった四年前、仕事を覚えてみるついでに社務所の修理をはじめました。
最初の頃は幽霊さんに、出て行けっタタリ殺すぞって具合に睨まれましたよ。
何度かちびりました。
でもね、修理をして雑巾がけをしてとしていくうちに、だんだん付き合い方をおぼえました。
まず必要以上にうるさくしない。
次に神さんじゃなくてその人に挨拶をしてから入り、出るときも挨拶して出る。
社務所が綺麗になる頃には、幽霊のお嬢さん出てきても穏やかな表情をするようになりました。
たまにさらさら音が聞こえたような聞こえてないような時は、決まって髪を櫛擦ってる。
時は過ぎて、前に私の足を折った暴走族がまた境内へとあがってきましてね。
私、逃げ切れずにつかまって、袋叩きにされました。
頭もなぐられてぐわんぐわんいってましてね。
足なんか痙攣してて立ち上がって逃げようにもすぐ転ぶ。
深夜の話なんで昼間よりもっと助けも望めず、こりゃあ巫女さんのお仲間になるなと思いました。
若者達はへらへらと笑っているし、私がもう命の限界に近いなんて理解もしてないようでした。
すると驚いた事に境内をかけあがってくる足音がするじゃないですか。
暴走族たちも私を殺そうとする手を休めてそちらをみました。
するとふもとの危ない猟銃持ちのおじさんがやってきて、いきなり銃を暴走族達に向けるじゃありませんか。
しかも発砲したんですよ。
わざと外したようですがね。
暴走族が慌てて逃げ出したのをみて、私意識失いました。
病院で目を覚ました後見舞いにやってきたおじさん。
聞けば巫女の幽霊に夢の中で脅かされ、飛び起きたら目の前に血走った目をした巫女の幽霊がいた、なんて肝の縮まる思いをしたそうで。
幽霊撃つためにとった銃も銃床でなぐりつけてもそりゃ素通りだったそうですよ。
あまりの恐さに逃げ出したら、おっかけられて神社までおいたてられたと。
だから私ね、実はあの廃墟にゃ巫女の幽霊が出るんだよって切り出して。
社務所の修理と巫女の幽霊が恐くなくなったとこまで話してやったんです。
そしたらおじさん「そりゃあんた幽霊と内縁の夫婦になってるよ」と真顔で。
退院して真っ先にお礼しましたよ。
以来ちょっと生活苦しくても巫女さんのために一膳のご飯用意してね。
嫁の飯も用意できないんじゃ男廃りますし。
たぶんあれはただの夢ですが巫女さんと何度も一晩中貪りあった。
祝言もあげましたよ。
神主もいない神社ですが。
まあ神前結婚の気分てね。
一年前。
この神社の廃墟を含む山の所有者って方がやってらっしゃいましてね。
元々はこの神社の神主の一族だって話してらっしゃいました。
この神社、別に霊験あらたかでもないし、歴史的に由緒あるわけでもなし。
終戦後の神道の混乱期に神主不在となって以来荒れ放題だったとか。
ところがみすぼらしいのは同じでも、神社がすっかり生気溢れてることに感激したって泣き出しましてね。
私に神社のある山とふもとの農地ををくださったんです。
どうせ二束三文の土地なら活用してくれる人にもっててほしいってね。
農地はよくしてくれた農家の方に安く貸し出し私は今東京に出稼ぎにでてます。
なかなか家にはもどれんので嫁が夢に出てくることが多いですが。
いつかこっちもくたばって、その後ずっと一緒にいれるんだから、我慢してもらわないと。
今は金をためて私らが死後くらすあの神社をもっとちゃんと修繕し、もう一度ちゃんと神社として神主を迎えられる状態にしないといけない。