超越した偽善

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

北米の話だけど、虐めで自殺した少女の母親と、虐めの主犯だった少女の事件後数年間を綴ったドキュメンタリーが後味悪かった。

学校での虐めを苦にして橋から飛び降り自殺する少女A。
Aの遺書に名前を書かれていた虐めの主犯格の少女B。
Bが告訴されたか、法的処罰を受けたか、等の詳細は覚えていない。

ともかく事件後しばらくしてから、ニュースか何かの番組でAの母親とBが対面する。

Aの母親が「私は貴方を許します。娘の分まで幸せになってほしい」的な事を言い、BはAに抱きついて号泣するという、感動的な場面が流される。

感動的ではあるのだけど、なんか聞いていてものすごくにょもった。
この母親のインタビューを聞いている間、にょもり続けていた。

なんていうか奇麗な絵空事ばかりを聞かされている感じで、本当に現実が見えているのか?と違和感を覚えるんだな。

案の定、ドキュメンタリーが進んでいくと、この母親とBとの和解が一時的なものだったのが判明する。

B曰く、もうAの母親につき合わされるのは御免だという。
Aの母親はただ注目を浴びたいだけで、あちこちの講演会に自分を引き出し、その度に公衆の面前で私を謝らせては悦に入っているだけだ、と。

このBもなんかアレだなとは思うけれども、Bの言い分も理解は出来た。
つまりAの母親に対して覚えていた違和感は、言葉は悪いが、娘の自殺すらダシにしてけなげな悲劇の主人公ぶっている母親の態度にだったんだな、と。
「娘を自殺に追いやった相手を許し、のみならずその将来を憂えることができる私って、なんて素敵」みたいな。

なんかこのファンタジーな世界観の母親の影響を受けていたAが虐められていたということに、妙に納得してしまったのを覚えている。

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