つい先日、私は20歳の誕生日を迎えた。
故郷から程遠い大学に入った為、一人暮らしをしている。
友達と騒ぎ倒し、飲み倒し、気付けば爆睡していた。
着信に気づき目覚めると、窓から夕陽が差し込んでいた。
着信画面を見ると母からである。
珍しいなと思いながらその電話に出た。
「はい」
『誕生日おめでとう。その声は寝てたな。まあ誕生日やしね・・・ということはメールも見てないやろ』
「メール?ごめん、見とらんわ。なんて?」
『次の土曜日に必ず帰省してほしいんよ。バイトがあっても休んで。交通費も出すし、とにかく重要な話がある。直接話さな』
「なにそれ?気持ち悪い・・・分かった。土曜日て、明後日やん(笑)」
『うん、とにかく絶対帰ってね』
そう言って電話は切れた。
薄気味悪いと思ったが、明後日わかること。
メールを確認すれば、電話と内容は一緒で、とにかく帰省しろとのことだった。
土曜日、私は実家の前に立っていた。
古い木造の母屋、小さい頃怖くて近寄れなかった蔵、手入れされた庭、そしてその庭の奥にある祠。
なにもかも懐かしく、そして久しぶりだった。
何度か帰省しようとは思ったが、両親の都合が悪く帰れなかったんだよな・・・。
そんなことを考えぼーと家を見上げていると、窓から小さい妹がひょっこり顔を出した。
「ねーちゃんおかえり!待ってたんよ!!!」
ウサギ似の私とは違い、鼻筋の通った地黒のオリエンタルビューティーな妹。
小さいころから体が弱く、様々な手術を乗り越えてきたが、つい2年前に脳梗塞を発症した。
後遺症は幸いなことに残らず、それを最後に健康なようだ。
昔から私に懐いてくれている可愛い妹。
この2年間、ろくに電話もしていないことに気付く。
妹の声を聞いたのだろう、玄関が開き母が顔を出した。
母:「おかえり。元気そうやね。はよ入りまい」
そう促され、久しぶりの我が家に入る。
居間に荷物を置き、スウェットに着替えて一息ついていると、奥の座敷から父の声がした。
父:「○○、きなさい」
昔から厳格で寡黙だが優しい父。
妹と弟(クラブで不在)には甘いが、私にはすごく厳しかった。
長女だからと自らを納得させていたが、なんとなく父に対してコンプレックスを抱いていた。
襖を開くと、土気色の顔をした両親が並んで正座していて、その前に座布団が敷いてあった。
座るように言われ、恐る恐るその座布団に座った。
少しの沈黙の後、父が口を開いた。
父:「○○、おかえり。元気そうでなによりや。いきなり呼んですまなんだ。とにかく話がある。分かってくれ」
私:「いいよ。話ってなに?それががいに(すごく)気になって寝れなんだ」
父:「ん・・・そやな。お前もこの間二十歳になって成人したしな。話さなね。お前、覚えとるか?☆☆(妹)が脳梗塞になった時、お前になんかあったやろ」
私:「え?・・・・・・なんもなかったけど・・・強いて言うなら、第一志望やった大学が奇跡で推薦が決まったことかな?」
父:「ん。せやな。じゃあ☆☆が耳の手術をしたときは?あんときお前は高二じゃ」
私:「高二といったらインターハイが決まった・・・いや、秋やから国体やわ」
父:「じゃあ、☆☆が幼稚園のとき、事故にあって手術したやろ。そのときは?」
私:「なに言いよるんや。話となにが関係あるんや。☆☆の不幸が私となんの関係が・・・」
父:「あるんや!!答え!!!!」
私:「・・・・・・・・・覚えとらんわ。あん時わたしは四年生やったやろ」
父:「お前はあん時、読書感想文で全国大会に行ったんや」
私:「・・・・・・・・・・・・・・・」
父:「気付いたか。そうや、お前の幸せは☆☆の不幸と比例しとる」
私:「そんなん偶然やろ」
母「違うんよ。このノート見て」
古い汚れたノート。
うっすら黄ばんでいる。
それを開くと、びっしり小さい字で私の名前と妹の名前が書いてあった。
『△月○日○○→習字コンクールで金賞☆☆→頭を怪我5針縫合』
てな感じ。
正直薄気味悪かった。
そのノートを見ると、確かに父の言うことは納得できる。
それに、私が良いことがあり喜んでいると妹がなにかあり、よいことがあれば悪いことが起こる、という方式を自分の中で作っていたことも思い出した。
父:「お前はな、忌み子(いみご)なんや」
私:「・・・いみごて、忌むに子でいいんかな」
父:「そうや」
私:「・・・・・・・・・・・・・・・」
そのとき意味は分からなかったけど、とにかくよくない意味というのは理解出来たし、未知の恐怖で涙が出てきた。
父:「ほんまごめんな。悪いと思ってるけど、我慢して聞いてくれ。・・・大丈夫か?すまんな」
私:「・・・・・・大丈夫。続けて」
父:「この部落には池があるやろ。あれは昔はうちの祖先の池でな。今は維持とか無理やし県に寄贈したが。そこに石碑があるんや。その石碑ってのが、人柱への感謝の石碑や。あの池はなんか知らんけど、週に一人は、男が足つかまれたとかゆうて溺れてな。近所の神主さんにきてもらって見てもらうと、物の怪が棲んでたんや。女のな。その物の怪というのが、当時のうちの祖先の当主の妾やった女と子供のなれの果てや。当主に捨てられ、身ごもった子どもと怨みを抱きながら池に身を投げた。そんでそいつが悪さしよると。その物の怪は、溺死した男達の怨みを糧にでかくなり、はよ鎮めな恐ろしいことになると言ったらしい。そんで、その鎮める手段は、当主を人柱にするということやった。しかしその当主はたいした臆病者で、自分の名前書いた人形をほりこんで人柱としたんや。石碑まで建ててな。そして2ヵ月ほどして、当主の孫が産まれた。可愛い色白の女の子で、初めの忌み子や」
私:「色白・・・」
私は地黒な両親から産まれたとは信じられないほど、色が抜けるほど白い。
その色白とあえて言った父の思惑が手に取るように分かった。
父:「そうや。その子が産まれてから村は壊滅状態になり、祖先の家族は謎の疫病にかかり死んでった。これはアカンと、もう一度神主をよび見てもろたらしい。したら、神主は激怒したあとこう言った。なんてことしたんや。忌み子により末代まで祟られるとな。忌み子は何代かに一度産まれる。特徴は色白、女の子、泣きぼくろがあるらしい。産まれる日は必ず雨で、身内に多大なる健康的被害を与える。と書物にあった」
ふいに左目の下にあるホクロがうずく。
父:「妾の子が女の子でな。泣きぼくろがあったらしい。神主はすぐに当主を殺し、池に沈めることを勧めた。もちろんみんな追いつめられていたし、これに従った。そして妾とその子を祀った小さな祠を建てた」
私:「それって・・・」
父:「そうや。裏のな。そうしてなんとか被害は収まった。しかし、忌み子はずっと産まれ続けてきたんや。昔のように大勢の人間に被害を与えることはないが、その忌み子が嬉しいと感じた時、同性の姉妹が対になるように怪我するようになった。それがお前と☆☆や」
妹への罪悪感。
なんで今更こんなことを言うのか。
父いわく、忌み『子』という言葉通り、二十歳になれば忌み子ではなくなること。
しかし、妹には念のため近づかないでほしいこと。
私が帰省しようとした時に都合が悪いといったのも、妹のためだったこと。
実際私が一人暮らしをしてから、妹が怪我や病気ひとつしないこと。
小さいころ何度も私を殺してしまいそうになったが、思い留まったこと。
そう一気に言われ、「もう実家には帰らないでほしい」と両親に泣かれた。
泣きたいのはこっちだよ。
頭がごちゃごちゃしてますが、ほんとのことです。
まだ信じてませんけど・・・。
で、逃げるように故郷から帰りました。
父が厳しかったのも母がよそよそしかったのも納得できますが、まだ信じられませんよ。
当然ですが。
とにかく、家族を失いました。
可愛い妹にはもう会えません。
あなたの兄弟は大丈夫ですか?
あの日から泣きぼくろがうずきます。